寺子屋といえば、江戸時代の学校である。
「手習い」とも呼ばれた。
現代の子どもは、6歳のころに小学校に通う。
寺子屋には、何種類の教科書があった?
江戸時代の子どもは5歳〜8歳のころに、寺子屋に通ったそうだ。
寺子屋は学校だから、教科書がある。
ではこの教科書が、何種類あったと思うだろうか?
ちょっと想像してみて欲しい。
そんなにいる?
- 5種類?
- 10種類?
- それとも、20種類?
いや、違う。なんと、7000種類もあったという。
7000、である。とてつもない数だ。
「そんなにいる?」と思うが、なぜ7000種類もの教科書があったのだろうか?
それは、
- 地域や職業
- 子どものレベルごと
に、最も適した教育をするためなのだ。
寺子屋の教育
たとえば、江戸下町の商人が多い地域。
ここでは『商売往来』を使い、職業の知識を教えたという。
子どもたちは、
- 商売に使う用語や単位
- 商売の心得
などを学んだわけだ。
また学校というと、机を並べて生徒全員が先生の方を向くというイメージがある。
だが、寺子屋ではひとりひとりが、それぞれ違う方向を向いていた。
画一的な教育ではなく、ひとりひとりに適した教育
教える内容が、画一的じゃなかった。
だから、先生(手習い師匠)は、ひとりひとりに適した内容を教えていたのだ。
それゆえ、机が同じ方向を向いている必要は無かった。
こんな風にして、寺子屋では、
- 画一的な教育ではなく、
- ひとりひとりに適した教育
をおこなっていた。
ここから、現代の商売が学ぶことがある。
みんなと同じことをしていないか?
商売について、学べば学ぶほど、画一的になっていく。
要するに、みんなで同じことをするようになる。
たとえば、ブログ集客を例に取ってみよう。
ブログ集客の例
スモールビジネスであれば、「ブログをやった方が良い」とよく言われるだろう。
特に、
- ブログ集客コンサルタント
- ブログ集客代行業者
は、ブログの有効性を、声高に強調する。
当たり前だ。彼らはそれで、食っているのだから。
打つ手なんて他に、いくらでもある
でもブログを書くのが、得意じゃない人もいる。
そんな人は、無理してブログをやらなくてもいいのだ。
だって、集客手段は、ブログだけじゃないのだから。
打つ手なんて他に、いくらでもある。
- ユーチューブ
- ツイッター
- フェイスブック
- メルマガ
- リスティング広告
- ディスプレイ広告
- フェイスブック広告
- …etc
みんなと同じ < 自分に適したこと
大切なのは、
- 「みんなと同じことをする」ではなく、
- 「自分に適したことをする」
ということだ。
なぜ寺子屋には、7000種類もの教科書があったのか?
ひとりひとりに適した教育を行なうためである。
現代の商売も、同じこと。
「みんながやってる」なんて関係ない
みんながブログをやっているから?
あなたがブログをやらなきゃいけないわけじゃない。
- ユーチューブが得意なら、ユーチューブをやればいいし、
- フェイスブックが得意なら、フェイスブックをやればいい
もっといえば、パソコンが苦手なら、オフラインで、
- 異業種交流会に行く
- 打ち上げや飲み会に参加する
など、人付き合いに力を入れればいい。
自分に適したことをする
大切なことは、自分に適したことをするということだ。
- 自分は、どんなことが得意なのか
- どんなことが、最も適しているのか
一度、じっくりと考えてみては、いかがだろうか。
(たまには、そういう時間を取ることも大切)
編集後記
ブログ記事が書けないからといって、
「ウェブから集客することができない」なんて考える必要はない。
もしコンサルタント先生に依頼するなら、
- 「ブログ”だけ”が正解です」という人ではなく、
- 「ブログ”も”おすすめです」
という人を選ぼう。(参考:ブログとサイトのハイブリッドとは?)
「これだけが正解」という、ノウハウなんてものは無い。