「伊藤さんは、いつも誤字脱字が無くて、すごいと思います。良い才能ですね。」
学生の頃、コンサルティング会社で、インターンシップ(≒アルバイト)をしていた。
インターンといっても、学生に任される仕事なんて、ほとんど雑用である。
書類のコピー、誤字脱字のチェック、印刷物の梱包・発送…etc
その時の、直属の上司である伊藤さん(仮称)は、いつも誤脱(誤字脱字)が無かった。
部署内の、色々な人が書いた文章の、誤脱をチェックしたが、そんなの伊藤さんだけだった。
たいていの人は、1ページに1個か2個は、誤脱がある。(多い人だと、もっとある。)
「どうして、伊藤さんが書く文章には、いつも誤脱が無いのだろう?」
学生心に、すごいな〜と感心していた。
そんな折、当人に伝えたのが冒頭のセリフである。
5回、確認する
「どうしたら、誤脱を無くすことができるんですか?」
忘れもしない。都内の店で唐揚げ定食を食べながら、素朴な疑問を投げかけた。
「そんなの簡単だよ。何回も、確認すりゃいいんだよ。」
「全部で、5個の誤脱があるとすんだろ。」
「1回の確認で、1個の誤脱が見つかるなら、5回の確認で、全部の誤脱が無くなる。」
「これだけ。」
「俺は、自分が書いた文章を、最低5回は見返すようにしてる。」
「あんまり、他人に迷惑を掛けたくないんだよ。ましてや、学生にはな。」
「だから、誤脱が少ないんじゃねーかな。才能って言っちまったら、それで終いだろ。」
「才能があるとすれば、何回も確認することを、面倒くさがらないことかもな。」
(今なら、なぜ伊藤さんがトップコンサルタントになれたのか、よく分かる。)
以来、学生から社会人、事業者になった今も、この教えを忠実に守っている。
確認と練習
5回、確認する。
伊藤さんとの会話を思い返すと、いつも連想するものがある。
「スティーブ・ジョブズ」と「スポーツ選手」。
アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズは、プレゼンの名手として有名だった。
同時に、プレゼンのリハーサルに、力を入れるということも、よく知られていた。
スライド、間の取り方、フレーズ、小道具、ライティング、衣装、演出方法…etc
何度も何度も、執拗に確認をして、練習を繰り返したという。
あのプレゼンは、この「確認と練習の繰り返し」の賜物だったというわけだ。
スポーツ選手も同様である。確認と練習を繰り返して、本番を迎える。
オリンピックの、練習期間は4年に及ぶ。
繰り返し回数は、5回じゃ、全然きかないだろう。
他にも、同様のものがあると思う。
あなたは、何を連想するだろうか?
ユーチューブ
ウチのユーチューブ動画は、公開0秒時点で既に20回くらいの再生回数がある。
チャンネル登録者がたくさんいて、公開時に瞬時に見てくれるからだろうか。
残念ながら、違う。(まだまだ、そんなチャンネルには育っていない。)
何てことはない。
全部、自分たちが視聴した再生回数だ。
投稿する動画は、公開予約をしている。
だから、管理者は、ダッシュボードから公開前の動画を見ることができる。
メンバー同士で、公開前の動画を見て、確認し合っているというわけだ。
それぞれ、最低5回確認することをルールにしている。
オンラインセミナー
ユーチューブだけじゃない。
毎月、提供しているオンラインセミナーも、最低5回確認することをルールにしている。
アイデアシートの段階で、それぞれ最低5回確認。
シートをマインドマップに落とし込んだ段階で、それぞれ最低5回確認。
マインドマップを動画撮影した段階で、それぞれ最低5回確認。
シートの段階、マインドマップの段階、動画撮影した段階…。
少なくとも、それだけ確認したものを提供している。
会報誌
会報誌も同様である。
会報誌は、月初めに書いて、月末まで、何度も何度も、修正を繰り返している。
ドキュメントで下書きを書いて、それぞれ最低5回確認。
下書きを会報誌化して、それぞれ最低5回確認。
会報誌を電子書籍化して、それぞれ最低5回確認。
下書きの段階、会報誌の段階、電子書籍の段階…。
少なくとも、それだけ確認したものを提供している。
ブログ記事
ユーチューブ、オンラインセミナー、会報誌だけじゃない。
ブログ記事も、何度も確認し、何度も編集し、何度も修正している。
最低でも1年に1回は、過去記事をリライトすることをルールにしている。
メルマガ化した時、動画化した時、スライド化した時、音声化した時、インフォグラフィック化した時…。
5年前に書いた記事は、どれだけ少なくとも5回は、必ずリライトしている。
(なんなら、その機会の為、意識的に、新しいタスクを創り出す。)
基本的に、「手元に武器は、そろっている」ということをベースに考えている。
確認・編集・修正
ブログ、ユーチューブ、メルマガ、ソーシャルメディア…。
情報発信をするとなると、ちゅうちょすることも少なくないだろう。
「こんな書き方で、いいのだろうか?」「こんな話し方で、いいのだろうか?」…etc。
だが、何度でも確認して、何度でも編集して、何度でも修正すればいいのだ。
そうしないことを是とする向きもあるようだが、そんな声に耳を貸す必要はない。
「品質に、めっぽう厳しい」と定評のある、天下のアップル商品でさえ、アップデートがある。
(何度も、何度も、何度も、何度も、何度も…。)
だから、何度でも確認して、何度でも編集して、何度でも修正すればいい。
文章は、何度でも、リライトすればいい。
動画は、何度でも、編集すればいい。(噛み噛みでも、大丈夫。)
どれくらい確認してる?
あなたは、どれくらい確認しているだろうか?
むろん、何らかの原因で、確認できない場合もあるだろう。
でも仮に、それを「才能」という言葉で片付けている場合。
たぶん、才能の違いじゃない。
「確認をしているかどうか」だけの違いである。
(参考)「未熟も歴史にして、情報発信をしていこう」