ふと思い立ち、5年以上前に撮影した自分たちのYouTube動画を見返した。
自宅の書斎で、ウイスキー片手に、ロッキングチェアに揺られて、酒にも自分にも酔っていた時のことである。
(シラフだったら、こっ恥ずかしくて、見ていられなかっただろう。)
酔いが回ると、おかしなことを思い付くものだ。
「きっと、目も当てられない有様なんだろうな〜」と思って、動画を開いてみたのだが、どっこい、そんなことはなかった。
「まぁ、5年前のレベルだから許してちょ」
むろん、「十分満足できる、出来ばえだ」と感じたわけではない。
いろいろとツッコミどころはあったし、改善点をあげようと思えば、いくらでもあげられた。
でも、「まぁ、5年前のレベルだから許してちょ」と思えたのだ。
その時のことを、ありありと思い出せる。
- 「公開」ボタンを押すことが、なかなかできなかった
- 「こんなものを、世に出していいのか?」と、悩んでいた
でも5年も経つと、「まぁ、5年前のレベルだから許してちょ」と思えるようになる。
今は恥ずかしくても、いずれ恥ずかしくなくなる
「喉元すぎれば〜〜」ではないが、今どれだけ恥ずかしくても、5年も経てば、恥ずかしくなくなる。
「まぁ、5年前のレベルだから許してちょ」と、思えるようになるのだ。
もっといえば、5年も必要ないだろう。
人によっては、2年あるいは、1年も経てば、恥ずかしくなくなるだろう。(もっと早い人もいるかもしれない)
- 「まぁ、5年前のレベルだから許してちょ」
- 「まぁ、2年前のレベルだから許してちょ」
- 「まぁ、1年前のレベルだから許してちょ」
という具合である。
5年先をみよう
- いま、じょうずに話せなくても、大丈夫
- いま、じょうずに書けなくても、大丈夫
- いま、じょうずに発信できなくても、大丈夫
我々がおこなうことは、ただ一つ。
そう。喉元をすぎるのを、待つこと。
喉元さえ過ぎれば、あとは大丈夫。
- 「まぁ、5年前のレベルだから許してちょ」
- 「まぁ、2年前のレベルだから許してちょ」
- 「まぁ、1年前のレベルだから許してちょ」
と思えるようになる。
「喉元すぎれば大作戦」
ウチでは、この考え方を、「喉元すぎれば大作戦」と名付けている。
なんとも安易なネーミングだが、効果は絶大だ。
恥ずかしいという感情からオサラバできるし、「万年準備中」に陥らずに済む。
よしんば、頭の良い人に、
- 「こんな文章は、読めたもんじゃない!」
- 「こんな動画を出して、恥ずかしくないのか!」
と説教を食らったとしても、関係ない。
「ウチは、5年先を見てるのです」と、言える。堂々と、胸を張って、ドヤ顔で。
行動しようとすると、必死で足を引っ張ってくる輩が出てくるものだ。
引きずり降ろされないように、自らに対する適切な言い訳を、こしらえておこう。
さて。
「この人、変わらないね~」
茶の間で、テレビを見ている時などに、よく聞く言葉である。
キャラや性格を指すことも無いことはないが、多くの場合、容姿についてを指す。
「変わらないね〜」=「(年の割に)若くみえるね〜」という意味である。
一般的には、ほめ言葉として、みなされている。
でも、よく考えてみてほしい。
変わらないことは、諸手を挙げて、喜べることなのだろうか?
「上・下」「前・後」に分けるとしたら?
もちろん、「変わらないこと」にも、良い面はあるだろう。
でも、「変わること」にも、良い面があるのではないか?
一方を、やたらと賛美し、他方を、ことさら軽んじる必要は、無いのではないだろうか。
仮に「上・下」に分けるとしよう。
すると、
- 「上」=「老い」
- 「下」=「若さ」
といえる。
また、「前・後」に分けるとしよう。
すると、
- 「前」=「未来」
- 「後」=「過去」
といえる。
「若さ」ばかり見る人=「下」ばかり見る人
別に、「下」を見ることは悪いことではない。
足元をおろそかにしては、つまづいて、すっ転んでしまう。
また、「後」ろを見ることも悪いことではない。
自転車やハイブリッドカーが、迫ってきているかもしれない。
でも、それと同じくらい「上」や「前」も、見てみてはどうだろうと問いたいのだ。
「下」や「後」ばかりを向いて、歩くのもいい。
だが、「上」や「前」を向いて歩くのも、悪くはないだろう。
どうせ、そうなることは「受け入れるが、吉」
どうせ5年後には、5歳、年を取っている。
- どうせ5年後には、話せるようになってるし
- どうせ5年後には、書けるようになってるし
- どうせ5年後には、発信できるようになってる
どうせ、そうなることは、「受け入れるが、吉」ではないだろうか。
あらがうのも良いと思うが、たまには、受け入れてみてはいかがだろう。
そうしてから気付くものが、結構あるような気がするのだが、どうだろう。
どちらも、お互い様
- いつまでも、準備中で行動しない
- いつまでも、若さばかりを志向する
- いつまでも、恥ずかしさを優先させる
いずれも、結構なことだと思う。準備も、若々しさも、恥じらいも、良いものだろう。
でも、それと同じように、行動も、老いも、誉れも、良いものではないだろうか。
夫婦関係や友達関係などと同じように、「どちらかが、一方的に悪い」なんてことは、世の中、そう多くはない。
どちらも、お互い様。「喉元すぎれば大作戦」。お試しあれ。